-最終回-人生の終わり「遊行期」に至る
このコラムも15回を迎え、人生の終わり「遊行期」の話で一段落することとします。
これまで「プレシニア」の方を対象とするということで、「仕事」に関わるいろんな考え方をお話してきました。人とはおぎゃーと生れて以降、亡くなるまでがその人の人生です。
不幸にして、幼児期の間に病気や不測の事故で亡くなるという人生もあることを考えると、
これまで苦労しながらも何とか「仕事人生」を積み重ねてこられたのは、ご同慶の至りであります。これまでの間学業を終え仕事について、上司同僚と協力しながらいろんな役割を果たし、組織に貢献して来られるのと併行して、家族を持ち子女の育成をされている方も多くおられることでしよう。
これからの人生のことを考えるのに、古代のインドの、人の人生を4つに分ける思想を紹介してみる。
「学生期(がくしょうき」
「家住期(かじゅうき)」
「林住期(りんじゅうき)」
「遊行期(ゆぎょうき)」という。 (五木寛之「遊行の門」を参照)
学生期は、子供のころから青少年にかけて、いろんな知識を学び、体も鍛え社会に出て生活できる準備をする時期である。学校などで、共同に勉学するルールも身につける。
家住期は、一人前になって、仕事に就き、結婚して子供もでき一家を構える。
林住期は、職業や家庭、世間の付き合いなどから自由になって、じっくりと己の人生を振り返ってみる時期。
遊行期は、人生の最後の締めくくりである「死」に向かって帰ってゆく時期。成長する中で身につけた知識と記憶を少しづつ世間に返してゆく。子供に還り、誕生した場所に還る。
インド哲学だけあって、それぞれの時期の意味を考え、4つの段階を経て人間は生きて行き、死んでいくのだな、という悠久の流れのようなものを感じさせます。
私もこのコラムで、労働には前期と後期があり、前半労働は、他者に指示を受け、知識・スキルを教えてもらい、評価も受け、制約もありながら成長するのだが、後半労働は自己実現のための働きで、お金を貰って雇用されるというだけではなく、自分の働きたい形で、広く世の中に貢献するような働きが出来ればよいのだ、というのと同じです。
これまでの終身雇用、年功序列、一社懸命の社会では、定年まで働き続けることを前提として、いろんな人事制度が設計されてきました。が、この仕組みそのものが維持できないのが現実で、それぞれの個人が自分の責任で生き方・働き方を決めていかなければならないようになりました。この制度は、日本の場合、団塊世代という大きな塊があるために、その部分が通過していくところの制度設計が構築できないと、制度が維持できないのです。このピークが今65歳の定年ポイントを通過しています。これから個人主導の人生設計を前提とした人事制度が固まっていくでしょう。
プレシニアの方々を30から50歳までとしているのは、これまでの制度変更のひずみが、大きな年齢幅の人材を対象に同時に起こっているというせいもあります。
まだ家住期にある人も、林住期に正に入ろうとする方もおられると思われます。
しかし、遊行期にいずれ入ることは、人間、誰にでもやってくることなので、その時期には、ゆったりとして子供と一緒に遊び暮らすような心境が準備できるような長期目標がいるわけです。
そのために、現在を起点に、こんな遊行期に到達できるといい、という考え方を設定出来ればよいわけです。
そのためには、堅実な家住期を築きあげられ、その到達の後には、林住期という自分の働く目的に到達できるような心境が得られれば、安心できるということになります。
現実の人の生き方・働き方は現在のように、技術の進歩や政治・経済の環境が激変している時代には、先が読めないというストレスにさらされるのは避けることが出来ません。
しかし、大きな観点から人間を見れば、大きな変化はないわけです。人間はそれに耐えられる柔軟な思考力、耐性を持っています。お元気で新年をスタートしましょう。