-第12回- 仕事の失敗に学ぶ
仕事の失敗は、本当につらいことだ。誰も、好き好んで失敗しようとは考えていないのだが。しかしながら、想定外の事故であっても、会社の仕事に大きな打撃を与えたとすれば、打撃をいかに減少させることが出来るか、何かリカバリーできる手立てがないものか、全知全能を絞り、あらゆる手段や他人の助力を仰がなければならない。
このような大変な事故に伴う失敗については、ある意味では全員の同意と協力が得られ、悪い意味でのコンセンサスが得られるわけだが、弁解の余地のない失敗、自分の思い込み、後から考えると、違う視点が全く思い浮かばなかったことによる失態などについては、
まったく弁解の余地がなく、無力な自分を、バカなことしたもんだと思うしかない時もある。
実際に失敗に向かって物事が進行していくのは、普通はとんでもない天変地異でもなく、と言って弁解の余地のないバカな行為でもないことが、現実には分からない間に少しずつおかしくなっていて、気が付いたときはすでにどうしようもない状態が起こっていて手が打てないことが多いのではないだろうか。これが現実であるけれども、それだからこそ、このプロセス自体が大変なことで、当事者にはとてもつらい体験になり、そこで学ぶことが本人のその後の仕事にとって貴重な経験となるのだと思う。
この経験というのを個別に説明することはこのコラムの目的ではないので、どのように、仕事に生かすかについて、私の考えをお話しし、一般論の役に立つ考えとして自分の中に取り込んでもらえばよいと思う。
まず、「済んだことは仕方がない」と早くあきらめることである。「過去と他人は変えられない」というではないか。私のもと居た会社の社長 大屋晋三氏は「From Now」という考え方を、あらゆるところで持っておられた。済んだ話を分析して何かの知識を得ると言うことではなく、これからどうするのか、何が出来るのか、ということを研究し実践しようという姿勢を持つことの方が大切だ、ということを、多くの経験の中から気づいておられたのであろう。この結果、済んだことの責任を分析して追及する後ろ向きの姿勢が消え、会社の雰囲気は非常に明るいものになった。先行されていた競合会社に「追いつけ、追い越せ」がスローガンとなり、特に、営業や開発がそれぞれの目標に向かって集中して攻撃するというシンプルで強力な戦術がとられた。
その結果、多くの失敗が事実として起こったが、そのマイナスをカバーするだけの収益が多くあり、成長の時代にはフィットした戦略であったのであろう。
そこで、次に考えることは、失敗をあきらめるのではなく、より「確実な進歩の材料」にこれを使おう、という考え方である。「失敗という結果」が起こったのではなく、「こうすれば失敗する」という「知見」が分かった、ということである。
化学実験で有益な薬品に適する物質を探し出すには1万件の実験から1件の成功が生まれるのだ、という考え方が普通だと言われている。
社会的な行動も考えてみると成功を連続させることは簡単ではなく、それなりの打診や失敗を積み重ねているのではないだろうか。営業にしたところで、そう簡単に顧客への説得が成功するわけではない。うまくゆかなかったやり方は失敗例なので、違うアプローチでなければならないことが示唆されている。失敗は結果ではなく、一つの「道しるべ」なのである。あきらめずに経験を蓄積し、失敗から学ぶことが大切なのである。
私は、「仕事の失敗」についてそのように考えてきた。終わったことに落胆せず、次の試みをすることが大切であり、その中から前向きの材料を見つけ出し改めて努力することである。いろいろ不本意なこともあったが、人生に無駄なものは何一つなかったと思う。