-第10回-本を読んで、勉強する。
「どんなやり方で人は成長するか」と問われると、私の場合は「本を読んで、勉強する」
という答えが自然に出てくるだろうと思う。
先日、OECDが発表した「国際成人力調査(PIAAC)」で日本が読解力と数的思考力
の2科目で世界1位となったことが報道され、バブルの崩壊来20年の間蔓延していた自虐的日本論から、やっぱり日本だ、という見直しの風潮をサポートするものとなった。
大体、日本人は勤勉と相場が決まっていて、この失われたデフレ時期の間もグローバルの風にさらされながら、真面目に残業し、仕事を維持継続していた。徳川時代も武士には藩校、庶民に寺子屋というものがあり、そこでは、「子曰く学びて時にこれを習う、また悦ばしからずや」という論語の丸暗記をさせられる勉強の習慣があった。封建社会と言いながら、士農工商のランクはあっても、「武士は食わねど高楊枝」というお金は商人が抑えていて、武士は志は高いけれども、必ずしも家計は豊かではない現実もあった。家系ですべてが決まることが建前であっても、実力のある若者を登用する仕組みもあったり、養子縁組するなど向上心に報いる弾力的な社会構造が、勉強を支持する勤勉な社会を維持することに貢献したのではないだろうか。国民の識字能力も当時すでに世界一であったというが、日本語のような難しい言葉をマスターするために、子供の時から長時間の勉強の訓練が必要で、そこで行われる「本を読んで、勉強する」仕組みが、結果として日本人の人間の成長や、今でいう社会人基礎力形成に貢献しているのではないかと思う。
私は、兄と姉に2年ずつ離れた末っ子として戦前に生まれ、父が商社に勤めていたので、一家と共に当時の満州、現在の中国東北地方で、幼児から小学4年までを過ごした。
姉、兄の勉強を自然に見ていたのか、本を読むのが好きで、父が内地(日本のこと)に出張すると、いつもお土産は本であった。最後にもらった本は「次郎物語」下村湖人、児童書でもあったが、今でいえば教養読み物の色彩が強いかもしれない。
その後、私の読書は、満州で経験したソ連の侵略による戦争で、外は戦闘状態で家から出られない1年を過ごし、家の中にあるあらゆる本を読んだこと。その中にあった「三国志」は、いまだにいろんな中国歴史の宝庫としていろんなエピソードを思い出すことが出来る。京都に引き上げてからは、戦災に遭わなかったおかげで本棚に「漱石全集」を始めたくさんの本があり、漱石は、吾輩は猫である、坊ちゃんを始め、随筆、書簡に至るまで、読みつくしたものである。
考えてみると、ここまでの読書は、小学4年から中学3年の10歳から15歳のことで、
現在の子供たちのように、児童用、中学用など、年齢に応じた読みやすい本がいつでも手に入る時代では考えられない、一人前の成人の本を読んでいたものと驚かれるかもしれない。
そこで私の言いたいことは、人が成長するために読む本は人生の「勉強」であるから、「勉」と「強」しなければならない。「勉」を字引で引いてみると、「しいてこころをはげまして、
無理にも、骨折って」と書いてあって、いやいやでも、骨折ってすることであり、「強」は
「無理に、むりやりに」とあるので、「勉強」は、強いて心を励ましてするものなのである。
「本」についても、何かの目的を持ち、時間をかけ、この本でここまでのことが分かったから、次はこの本を読んで考えてみようという読み方をすることが望ましい。
人が成長するために「本を読んで、勉強する」には、いろんな勉強の結果必然的にめぐり合うものもあれば、思いもかけずに一生の友になる本もあるだろう。