世界の人口問題

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まず、我国の人口問題の経過をたどっておこう。
戦前戦中は「産めよ増やせよ」、兵士を多く生み出す国策がとられた。
戦後はベビーブーム。1947~1949年生れ(団塊の世代)は、3年間で806万人、平均269万人/年が出生した。一人の女性が一生のうちに産む子どもの数の平均値を合計特殊出生数というが、1949年時点の合計特殊出生数は4.32であった。

日本の合計特殊出生数2014

1949年生れの筆者の小学校時代は校舎が足らず、1年生のときは生徒を午前と午後に分けて授業をする2部制が採用されていた。2年生のときに新しい学校ができ、4年生以下の生徒(1947年生れに合致)が半数に分れて新設校に移った。団塊の世代のためにあちこちで学校が新設された訳である。
敗戦後の貧乏な国にぞくぞくと子どもが増えたことに政府は危機感をつのらせた。1948年に優生保護法(1996年に母体保護法となる)を成立させ、母体保護の観点から中絶を容認した。1954年からは「家族計画」を推奨し、子どもは2人が理想とのキャンペーンを行った。
その後の高度経済成長がなかったら、団塊の世代は失業者の群れとなった筈であるが、幸運にも1970年代に就職に恵まれ、大量の働き手となってその後の経済成長に役立つことができた。

我国の合計特殊出生数は1975年に1.91となりこの頃から少子化が始まった。子どもは年を追って少なくなり、2005年には1.26と最低を記録、政府は少子化対策に躍起となった。2012年の合計特殊出生数は1.41まで回復してはいるものの、少子高齢社会への進行は止まらない。

世界の人口問題の経過はどうか?

世界の人口推移2014

1930年の世界人口は20億人だった。30年後の1960年に30億人になった。その27年後の1987年に50億人、さらに24年後の2011年に70億人になった。人口増加率のピークは1965~1970年であり、その後増加率自体は鈍化した。しかし、母数が大きいので世界人口は今世紀中に100億を超え、その後は静止人口に推移する。あるいは最近では減少に転ずるとする説もある。100億の人口は地球の食料・資源にとって過大であり、環境面からも問題であるとされており、国連の人口会議は早期に世界の出生率を2%程度に抑えるべきとの点で一致している。
世界人口の急速な増加は、発展途上国への公衆衛生と医療の普及による。多産多死であった発展途上国の死亡率が下がったことで人口爆発が起きた。
発展途上国の多くは農業中心であり、子どもも農作業や家事の働き手であり、数いる方がよい。教育の必要はなく、子どもたちは学校もほどほどに働く。また、多くの国で長男が親の老後の面倒を見る役に当たっており、男の子が必要である。死亡率が高いのでスペアの男の子も設ける関係で、子沢山となる。 
産業が発展し、都市の労働需要が増加すると、農村部から都市への移住が増える。都市労働者にとって子どもは親の労働の足手まといになる。住居も狭隘だし、子どもを教育すると費用がかかるので、子どもの数が制限される。さらには、子どもを産む女性が教育を受け仕事を持つと、結婚年齢や出産年齢に影響し、少子化が進む。
かつては子沢山であった発展途上国にもそうした少子化の波が及んでいる。

世界保健機構が2013年5月に発表した2011年の合計特殊出生率の世界平均は2.4である。2.08程度が増減なしの分岐点(出生後に死亡する率を織り込み)である。地域別にはアフリカ諸国が軒並み4以上であるが、パキスタン3.3、フィリピン3.1、インド2.6、バングラデシュ2.2、インドネシア2.1とアジアの人口増は抑えられつつある。ベトナム1.8、タイ1.6は少子化に向かっているし、一人っ子政策の中国も1.6である。
アジアの平均は2.5。中南米2.3、北アメリカ2.0、ヨーロッパ1.5であり、ヨーロッパでは少子高齢化と人口減が懸念されるが、アフリカやアジア南部を除くその他の地域もやがては少子高齢化に見舞われることになろう。
人口増加の負担を軽減しつつ、しかも活力を失わない人口構成をどう維持していくか、地域にとってもそれぞれの国にとっても大きな課題である。