人間の能力は二こぶラクダの背の如し
我国が造船世界一だった頃、造船業界の懸念は次第に進みつつある造船現場の高齢化であった。
造船業の基幹職種である組立職・溶接職・取付職はいずれも若い作業者を必要とした。
鉄製のブロックを組み、それをクレーンで船台に吊り上げ、繋ぎ合わせて船体を建造する。大規模重量物の組立・取付には体力と筋力が必要であり、溶接ではビードを盛る際に視覚集中が必要であった。
屋外の真夏や真冬の作業はそれでなくとも厳しい。特に夏場の焼けた船体の上や中での作業は忍耐心を要する。屋外で大構造物の組立・取付に当たっていた作業者は40歳代半ばを過ぎる辺りから徐々に工場内での小組立などに変わり、溶接職も視覚集中が続かなくなる40歳代半ば頃から徐々に検査職などに変わっていた。造船の検査は溶接個所の検査が中心であったので、溶接職の経験が活かせたからである。
勿論、職長などに昇格する者は同じ職場・職種で、監督職に役割を変えてはいた。
一般作業職の場合は、更に高齢となり当該職種でのパーフォーマンスが落ちると、工程管理職、発送職、工具保管職などの高齢適職職種に変わって行く流れもあった。
若い労働力が次々確保できた造船業の最盛期はそうした基幹職種から補助的職種への自然な循環がうまく回っていたが、若い労働力が十分に採用できなくなって来ていた時期に、高まる年齢構成でいかに船舶建造を続けて行くか?
それが当時の造船業の抱えた課題であった。
どう対処したか?
第一の施策は「業務の再設計、設備改善、機械化・装置化の追求」であった。例えば自動溶接機の導入で、手溶接の作業ボリュームを大幅に削減した。自動車産業と違い自動溶接の導入に限界はあったが、自走式の自動溶接機の採用も含め相当程度の機械化がなされた。
自動溶接機の操作は高齢者でも出来るよう教育・訓練した。プログラミングはやはり若者に担当させたケースが多かったが、若者にいかに自動溶接機を動かすべきかのノウハウを伝授したのはベテラン作業者であったし、生産様態が変化し段取り・調整などのスタッフ的な役割が新たに必要となった。そうした分野に仕事の内容を知悉するベテラン作業者の活用余地が広がったのである。だから第二の施策は「作業者の能力拡張と意識改革」であった。ベテラン高齢者に対し、昨日まではやらずに済んだ新たなチャレンジを求めたと言えなくもない。
当時、H造船のK社長は、「人間の能力は二こぶラクダの背の如し」という説を唱導した。造船現場の作業者のみに向けてではなく、中高齢者一般に向けての訴えであった。
40歳代半ば~50歳前後を過ぎて能力が伸び悩み、或いは少しずつ低下し始める場合、高齢になって行く自分のその先にもう一つピークを作れというのである。
そういう気構えで、それまでの広範な経験を基盤に研鑚して行けば、人生の別の山が築ける。それは本人の新たな活躍のステージとなり、生き甲斐となるし、企業にとっても社会にとってもメリットになる。高齢化を懸念するのでなく、むしろ積極的に活路を見い出せという説であった。
当時K社長の言葉は新鮮で、私も印象深く聞いた者の一人であったが、その後長らく忘れた格好になっていた。高齢者の仲間入りが間近い頃になってから何度かK社長のこの言葉を思い起こしては、そこに益々の真実味を感じるようになった。