グローバルで活躍するアジア人は?

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グローバル化の過程で私が知ったフィリピンの事例についてご紹介したい。

この20年間にM重工の輸出比率は3割から7割になった。
驚異的とも言える輸出比率の増大であるが、同業他社も似たり寄ったりであろう。
そのぐらい国内マーケートが飽和状態となっていて、海外へ伸びて行かざるを得なかったということである。

20年前、輸出競争力を強化するためにM重工のエンジニアリング部門が取り組んだのは、
フィリピンにエンジニアリング会社を設立し、輸出プラントや機械の詳細設計図、部品設計図をそこで作成することだった。
フィリピンには優秀な学卒エンジニアが多く、そうした人材を幾らでも採用できる環境にあった。

概念設計、基本設計のみ日本で行い、後はフィリピン人を使うことで時間当りコストは約1/10、
また輸出向けの英語の図面は彼らの得意とするところだった。
当時、日本の同業他社も揃って海外エンジニアリング拠点を展開した。
多くはフィリピン、一部はシンガポールであった。

次に海外現地工事であるが、これにもフィリピン人を活用した。
中東での工事ではワーカーはインド人・パキスタン人が多かったが、
英語が使えるフィリピン人をスーパーバイザーとして使うことが有効であった。
日本人建設技術者とフィリピン人スーパーバイザーたちとの連携ができて来ると、
その工事が終わった後の次の工事でも同じ顔ぶれによる建設体制を組んだ。
従って同じフィリピン人が中東、東南アジア、中南米と出稼ぎしたものである。

この8月に約10年振りにフィリピンへ行った。
エンジニアリング拠点も工事関係の出稼ぎも相変わらず盛んであった。
最近では欧米の企業のコールセンターが幾つもできていると聞いた。
国内の賃金は相変わらず日本の1/10程度である。

国内産業がなかなか発展しないフィリピンでは相変わらず海外出稼ぎが多い。
150万人以上がアジア、アラブ、アメリカ等に出稼ぎに行く。
男性は労働全般だが中には船員になる者もいる。女性は看護師やメードが多い。

父親が長らく日本企業の海外現地工事を転々としながら働いていたという女性から話を聞く機会があった。
フィリピンは60歳定年が一般で60歳から僅かだが退職年金が貰える。
父親は60歳で定年を迎え、その後も働きたいと思ったそうであるが、
ピラミッド型の人口構成のフィリピンでは幾らでも若い人が雇えるしその方が安上がりなので、
彼は働く機会を得ずにいるとのことであった。

カトリックの国なので子沢山である。
政府はピルやコンドームを無料で配布し人口抑制に躍起になっているが、カトリックが反対している。

60歳以上人口比率はなんと5%しかない。フィリピン男性の平均寿命を調べてみたら、
WHOの2011年統計で66歳となっていた。
私の今の年齢とさして変わらない。複雑な思いでこの数字を眺めたことである。