産業経済が人間生活を変えた
Russell Bakerのピューリツア賞受賞作“Growing up”には、昔のアメリカの家庭生活と当時の人々の思いが活き活きと書かれている。
1920年代バージニア州の片田舎の村の家々には水も電気も無かった。
水は女たちが毎日丘の麓の泉まで汲みに行った。明かりは石油ランプ。
また、トイレが家に無かった。家から離れた掘立小屋にトイレがあり、日中はそこへ行って用を足したが、
夜はベッドの脇にslop jar(おまる)を置いて用を足した。
女たちは朝になるとslop jarを流しに行き水で洗って蒸気で消毒した。
文明国アメリカでも少し時代を遡れば、そんな生活が残っていた。
つましい暮らしの中、父親が31歳の若さで死んでしまう。
働き手を失った母親は途方に暮れる。
3人の子供のうち末の幼女は養子に出さざるを得ない。残った母子は母親の弟夫婦の家に身を寄せる。
そこで母親は一人の真面目そうな男と知り合いになり、再婚と生計の安定を心ひそかに願うが、
大恐慌となって男は失業し、姿を消してしまう。
不運と貧乏が幾らもあった時代であるが、著者の暖かい目が注がれていて心に沁みる作品となっている。
さて、1920年代は日本では大正時代で、私の母が子供時代を送った三重県宇治山田では電気が普及し始めた頃であった。
当時の日本には電気会社が乱立していて、「うちの電気を使ってくれ」と販売競争が激しかったそうである。
私はM重工の社員教育の際によくこの話をした。
産業は水・電気・ガスを供給する。生活が驚きをもって変化する。
M重工は社会インフラを手掛ける業種であり、社員の仕事はそうしたミッションを帯びていた。
事実、日本の数多くの社会インフラを構築したのみならず、アフリカの河に橋を架け、中南米に発電所を作り、中東の海を水に変えるプラントを造った。
産業経済は人間生活を豊かに変えて来た。
ものづくりだけでは無い、金融も保険も商社も、それぞれ産業社会の発展に寄与して来た。
私の子供時代にもそれなりの生活の変化があった。
電気釜、電気洗濯機、電気冷蔵庫が登場。寒い冬にも赤々と輝く石油ストーブで家の中の厚着が必要無くなった。
友達の家にテレビが来た。東京オリンピック開催直前に初めて高速道路というものが出来た。
東京オリンピック開催の年には東海道新幹線が開通した。それらは当時の人に全て驚きと興奮をもって迎えられた。
産業経済とはそういうものではないか。
我々高齢者は生活者としても、また経済成長の中で働いた生き証人としても、
そうした変化を特別な思いで迎えた筈である。生活や仕事の場を通じて、
昔の生活の様、人々の思い、産業が人間生活をいかに変えて来たか、
産業経済の役割とは何かを伝えて行くことも、高齢者の務めかも知れない。